大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)659号 判決
控訴人
髙橋ヒロ子
控訴人
髙橋美佳
控訴人
髙橋亮
右控訴人ら訴訟代理人弁護士
髙橋敬
同
田中秀雄
同
吉井正明
同
筧宗憲
被控訴人
住宅・都市整備公団
右代表者理事
平田盛孚
右訴訟代理人弁護士
辻中一二三
同
中坊公平
辻中一二三訴訟復代理人弁護士
森薫生
中坊公平訴訟復代理人弁護士
藤本清
同
谷沢忠彦
同
島田和俊
同
飯田和宏
主文
一 原判決を左のとおり変更する。
(1) 被控訴人は控訴人髙橋ヒロ子に対し七万円、その余の控訴人ら両名に対しそれぞれ三万円及び以上の各金員に対する昭和五九年一一月一三日から各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 控訴人らのその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は一、二審を通じこれを一〇分し、その九を控訴人らの、その余を被控訴人の各負担とする。
事実〈省略〉
理由
第一不法行為の成否について
1 本件建物について被控訴人を賃貸人、控訴人らを賃借人とする控訴人ら主張のような賃貸借契約が存したこと(請求原因1の事実)は契約成立日時の点を除き当事者間に争いがない。
また、右日時の点及び右契約内容等については、〈証拠〉によると、本件建物は被控訴人公団所有の千鳥団地約一六〇戸のうちの一戸二階建の建物で、その面積は42.45平方メートルであり、本件賃貸借成立の日は昭和三四年三月一日であつたこと、その契約内容として、(1)賃料は毎月二六日までに当月分を持参して支払うこと、(2) 賃借人は、善良な管理者の注意義務をもつて本件建物を使用し、賃借人の世帯員が三〇日以上本件建物に居住しないときや、退去しようとするときは、賃貸人に通知しなければならないこと、(3) 賃借人が賃料の支払を三か月分以上怠つたとき又は右通知を怠つたときは、賃貸人は本件賃貸借契約を解除することができること、(4) 賃貸人が本件建物の維持管理上、調査を求めるときは、賃借人はこれに協力しなければならないこと等の定めがあつたことが認められる。
次に、控訴人らが昭和五七年一二月上旬本件建物から肩書住所地すなわちマンション「ルネ芦屋」の一戸(正確には原判決別紙第二目録記載の建物)に生活の本拠を移したこと、昭和五九年三月一五日被控訴人担当職員松田義昭らが本件建物入口の施錠を壊して建物内に入つてその点検を行つたこと、建物内には控訴人ら所有の家財の一部等が残置されていたが、前記松田はその情況等を総合した結果、(イ) 控訴人らは約定に反する無断退去したものであり、(ロ) また、右残置物はすべて無価値なものであつて、控訴人らがその所有権を放棄したものであると判断してこれらをすべて廃棄したこと、以上の事実は当事者間に争いがないか、または弁論の全趣旨に照らし当事者双方が明らかに争わない事実である。
2 控訴人らは右被控訴人公団担当職員松田の所為を不法行為であると主張するので、以下、右の経過について更に検討する。
〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 控訴人ヒロ子は昭和五七年一二月上旬新築されたばかりの前記マンションを購入し、その頃控訴人美佳、同亮の家族とともに本件建物から右建物へ転出引越しをし、生活の本拠を移し、その頃その趣旨の住民登録もすませた。
しかし、控訴人らは当時本件建物を引き払い賃借権を放棄する意思はなく、控訴人美佳が結婚すれば本件建物に居住することを考え、電話、電気、水道、ガスはそれぞれその供給契約を解約することなく、また本件建物賃料も支払つていた。
そして、控訴人ヒロ子、同亮はともども右転居後約八か月の間は時々本件建物内外を見廻り、掃除等もしていた。
(2) 以上の次第で、控訴人らは右転居のさいにも従来使用していた家具等のうち新居ですぐ使用する必要のない物として原判決別紙第一目録記載の物品中の一部を残置していた(各網戸、風呂場、台所、便所等の附属品――各種の食器、同収納箱、炊飯器、ガスレンジ、ミキサー等々――、カーテン、スチール製学習机、学習用書物、記念アルバム、本棚、ソファー、電気スタンド、その他物置、押入れ等に収納していた当座不要の中古ガスストーブ、ポリバケツ、ダンボール空箱、庭先のつげ等の植木、等々。なお、控訴人らは右第一目録記載の物品全部を残置していたように主張し、甲第六号証及び前掲控訴人ヒロ子の供述中には同旨の記載及び供述も存するのであるが、前掲検乙第一号証の一ないし一九以外に他にこれを裏付ける客観的証拠がないので、右に列挙のすべての物品の一々を認めることは困難である。)。
(3) ところが、控訴人らは転居しながら、被控訴人にその旨の通知もせず、また昭和五八年七月分以降の賃料の支払を怠るようになり、同年一〇月に一部の支払いをしたものの、再び同年九月分以降昭和五九年三月分までの賃料を滞納した。
そして、右賃料不払いの理由は、控訴人ヒロ子が一時北九州市の実母方に行つていたこと、被控訴人側の賃料値上げ措置に対抗するためと称し、近隣の一部賃借人と申し合わせてした結果であつた。また、当初予定していた控訴人美佳の結婚が不成就に終つた結果でもあつた。
(4) そこで、被控訴人は控訴人らの賃料滞納に対し次のような措置をとつた。すなわち、
(一) 昭和五八年八月頃葉書による督促状を、同年一〇月頃には封書による督促状を、それぞれ本件建物住所の控訴人ら宛に発送した。なお、控訴人らは転居に際しては最寄りの郵便局に転居先を届け出ていた。
(二) 担当職員の松田が昭和五八年一一月一七日本件建物を訪ねて督促しようとしたが、挙家不在であつた。
(三) 担当職員松田が昭和五八年一二月八日に同月一五日を支払期限とする督促状を本件建物内に投入し、玄関ドアにも重要書類を投入した旨記したシールを貼付した(乙第二号証の一、二参照)。
(四) 担当職員松田が昭和五九年二月二日に同月八日を支払期限とする督促状を本件建物内に投入し、玄関ドアに右同様のシールを貼付した(乙第二号証の三参照)。
(五) 担当職員松田が昭和五九年三月二日に同月七日までに被控訴人兵庫営業所に出頭されたい旨の招致状を本件建物玄関ドアに貼付した(乙第二号証の四参照)。
(5) しかし、控訴人らはその後何らの応答をしなかつた。もつとも、被控訴人側も右の措置のほか特に控訴人らの移転先を探すため近隣の問合わせ、住民票の調査等のことはしなかつた。
(6) そこで、被控訴人担当職員松田は昭和五九年三月一五日出入りの住宅補修業者である不二友株式会社の従業員金沢潤二他一名を滞同して、前記争いない事実のとおり、本件建物に赴き、玄関の錠を破壊して(合鍵がなかつたため)内部に立ち入り点検したのであるが、内部は、畳が腐り、襖も破れ、掃除もしていない状況であり、残置物も乱雑に放置されているものが多かつたので、あたかも引越しあとの「がらくた」または不要品ゆえに置き去つたかのように見えた。
そこで、松田は控訴人らは本件建物の賃借権をすでに放棄しており、また残置物もすべてその所有権を放棄したものと判断し、その旨被控訴人公団兵庫営業所にも電話連絡し、玄関の錠は新設し施錠したうえ、その旨と同月二二日限り「無断退去」として扱う旨記載した書面(乙第二号証の五参照)を玄関ドアに貼付し引き揚げた。
しかし、松田らはそのさい電話の受話器があつたのに気付きながら、その通話の可能性について調査せず、また当時電気、ガス、水道が使用可能状態にあつたにもかかわらずその調査もしなかつた。
(7) 松田は上司諒解のもと昭和五九年三月二六日及び二八日の両日前記不二友株式会社の従業員金沢に依頼して、前記残置物のすべてを搬出させ、塵芥として廃棄処分させた。
なお、控訴人らが当時本件建物を明け渡すとした場合において約定に基く原状回復に必要な費用は畳新調等を含め三五万八〇三〇円であり、当時までの不払賃料は合計一四万七六三〇円であつた。
(8) また、被控訴人が以上のような措置に出たケースは他にも相当あり(松田の経験でも十数件あつた)、前記のような葉書による延滞賃料催告にはじまる手順は予め準備されている所定の用紙で行われている。
また、被控訴人公団は、このような場合の残置物の措置については、従来から内部規定に基づき交換価値ないし利用価値があるものは一年間これを保管してその旨公示し、そうでないものは廃棄処分する扱いをしていた。
(9) ところで、一方、控訴人ヒロ子、同亮は昭和五九年四月上旬本件建物に赴いたところ、玄関入口に前記(4)(五)認定の最後の張り紙があり、また、錠が替えられ入られず、かつその内外の状況から残置物が一掃されてしまつているのに気付き驚き、数日後被控訴人側に電話で事情をただしたところ「賃借権放棄、無断退去として措置し残置物は廃棄した。」とのことであつた。
そこで、控訴人ヒロ子は更に驚き納得できなかつたので同年五月中旬弁護士に依頼して被控訴人に内容証明郵便をもつて事態の善処を要求し、やがて控訴人らの本訴提起となつた。
以上のような事実が認められ、〈証拠判断省略〉他に右認定事実を左右する証拠はない。
3 そして、以上のような経過に基づき判断すると次のとおりである。
一 違法性について
まず、賃借人控訴人らは、被控訴人職員松田が本件建物の施錠を破壊し立ち入り一連の措置をとつた当時、すでに生活の本拠を他に移し、事実上本件建物に居住せず、また賃料の支払いを怠る等の約定違反も存したことは明らかであるが、他方、控訴人らとしては当時なお内部の電話、ガス、水道、電気は継続利用可能の状態にしており(またそれゆえ、その基本料金も負担し、または少くとも負担する義務のある状態にあつたことが推認せられ)、かつ内部には従来使用していた家具、日用生活品等を多数存置したうえ閉め切り、建物に施錠していたのであるから、控訴人らは、必ずしも通常の用法とは言い難い点もあるが、なお賃借人として本件建物の占有を確保継続し一定のプライバシーを保有する状態で使用収益をしていたものと解すべきである(被控訴人は本件賃貸借は解除されたかのようにも主張しているが、解除の意思表示が控訴人らに到達したと断定できる確証はない。)。したがつて、当時屋内の管理が悪く、残置物も乱雑に放置されていたからといつて、直ちに控訴人らがこれらすべての所有権を放棄したものと解することはできない。また、残置物がすべて客観的、主観的に無価値のものと解することも困難である。
そうすると、少くとも被控訴人公団職員松田が職務上本件建物内にあつた控訴人ら所有の有価の残置物をすべて本件建物から搬出し、玄関の錠を取り替えて新しい錠の鍵を自公団で保管し、さらには右の残置物をすべて廃棄処分した所為は違法であるというほかない。右松田の所為は、要するに、本来債務名義に基づき公権力の行使としてなされるべき建物明渡しの強制執行を自力をもつて私的に行ない、あわせて控訴人ら所有の一部有価の動産を無断で廃棄してその所有権を侵害したものとも解せられ、このような所為をたやすく容認することは現行法制上も許されないところであつて、いま右のような所為についてその違法性を阻却すべき特段の事情も本件においてはこれを認めることが困難である((イ) なお、被控訴人は、施錠破壊の点について、契約上、建物の維持管理上内部調査を求めるときは賃借人はこれに協力すべきである点を理由としてその適法性を主張し、右のような特約の存することは前記第一1二段(4)認定のとおりであるが、右約定は被控訴人の賃借人に対する調査請求と賃借人の協力義務を定めただけであるから、右約定の存在のみによつて直ちに前記所為の適法性を肯認することは困難である。しかし、いずれにしても本件においては前記所為を違法行為として敢えて挙示しないことは前記のとおりである。(ロ) また、被控訴人公団としては、その業務運営上、約定に違反し信頼関係を破壊するような賃借人に対して大量的に対処しなければならないところからして、賃料不払、不在のケースにつき、本件のような処置に出る場合には前記認定のような所定の順次の手続きをとり相応に慎重に対処していることがうかがわれ、このことは理解できないではなく、諸般の情況により賃借人が明らかに賃借建物を任意明け渡したものとみられ、かつ残置物についても社会通念上無価値またはこれに近いため賃借人が所有権を放棄したものと解されるような場合には、場合によつては本件のような措置の一部が社会的相当性を有すると解さなければならないこともあると考えられるが、本件においては全体として右の理はこれを適用し難いところである。)。
二 有責性について
そこで、ひるがえつて被控訴人職員松田の所為の有責性について検討するに、同人は前記所為にさいし前記のような違法性を認識していなかつたものと認められる。しかし、屋内点検にさいし、施錠がなされているほか電話、電気、ガス、水道の利用契約も継続されていることを看過し、単に控訴人らが賃料の支払いを怠り、かつ現に居住の用に供せず、家財道具等が乱雑に放置されていることを現認しただけで、特段それ以上の調査もしないまま、控訴人らはすでに本件建物を明け渡しており、また残置物はすべて無価値であると即断し、ひいては控訴人らはすでに本件建物賃借権を放棄し、残置物すべての所有権をも放棄したと判断したのは軽卒のそしりを免れない。現に被控訴人公団では有価値残置物については一年間これを保管する扱いをしていること前記のとおりである。そして、被控訴人公団が一般に他人の所有動産についてはこのようにして相応に慎重な扱いをしていることは松田もこれを知悉していたと推認されるところである。
結局、被控訴人公団の職員松田が前記所為に及んだについてはその業務上過失が存したものといわなければならない。
第二損害について
1 そこで、進んで控訴人らの蒙つた損害の有無及びその額について検討する。
まず、控訴人らが松田の前示違法行為によつてその所有にかかる前記認定の残置物(それが控訴人らの共有物であるか、そのうち一名の単独所有物であるかは暫らくおく)を廃棄処分されてその所有権を侵害されたところ、右残置物のすべてが無価値物といい難いことは先に説示したとおりであるから(〈証拠〉によれば、中には新品の家財または食器が存したこともうかがわれる。ただし、松田ら関係人がこれらを他に処分換金したとまでは認め難い。)、被控訴人は本件残置物のうち有価ないし交換価値のある物についてそのものの客観的価格相当の財産上の損害賠償をすべきである。しかるところ、本件においては、右有価物を個別に選別特定し、かつその客観的価値を判断するに足る証拠はない。前掲甲第六号証(控訴人ヒロ子作成の廃棄物一覧表)の記載及び控訴人ヒロ子の供述だけでこれを認定判断することは他に客観的な証拠がないから困難である。また、いまこれらの損害を概括的に把握し控え目の原則によつてこれを認定判断することも本件においては対象物件が種々雑多であることに照らし採証上困難であるというほかない。
したがつて、控訴人らの財産上の損害に関する主張(請求原因4(一)の主張)はこれを認めることができない。
2 しかし、次に、慰藉料請求については、控訴人らの弁論の全趣旨によれば、控訴人らは家族の記念アルバム等主観的高価物の滅失による特別損害としての精神的損害の主張(請求原因4(二)の主張)のみならず、前示のような残置物廃棄以外の松田の違法な行為について広く非財産的損害を蒙つたことをも主張していると解されるところ、前示松田の所為中には(イ) まずその一部において、代替性がなく、かつ控訴人らにとつて特別に主観的価値を有すると解される記念アルバムの無断廃棄が含まれており、(ロ) また、その一連の所為もいわば私的に本件建物明渡しの強制執行をしたに近く、控訴人らにとつては自己のかつての居住場所であり、かつ現に家財道具等を保管しその占有を保持していた建物を無断で明け放たれ、よつて、一種のプライバシーを犯される結果となつたとみてよく、これらの点を考えると、控訴人らは相応に精神上の苦痛を覚え、また人格ないし名誉感情を損なわれたものと解しうるところであり、現にそれゆえに控訴人ヒロ子は右の事実を知つた直後に被控訴人に前記認定のような抗議を申し入れ、また弁護士に善処方を求めたものであると解される。
そうすると、被控訴人は控訴人らに対して一定の限度で右のような精神的苦痛を慰藉する義務があるといわなければならない。そして、その額については、前記認定のような被控訴人側の違法行為の態様、程度もさることながら、ことここに至つたについては控訴人ら側にも前記のような賃料不払い、約定違反の転居、賃借人としての建物及び建物内外所有物の管理不十分等の点があり、これらが原因となつていることもまた明白なところであり、もし被控訴人公団が控訴人らに対して本件賃貸借解除をし本件建物明渡しを訴求すればその勝訴が容易であつたこともうかがわれ、いまこれらの事情に鑑み、本件紛争を全体としてみると、控訴人らには顧みて他をいう点が多く存するといわなければならない。
そして、以上のような点を彼此総合すると、控訴人らの前示精神的苦痛は、控訴人ヒロ子において五万円、その余の控訴人らにおいてそれぞれ二万円によつて慰藉されるべきものと解するのを相当と考える。
3 また、法律に不案内と認められる控訴人らが本訴を提起するについて法律専門家である弁護士にこれを委任したことはやむをえないところであつて、これによつて生じた報酬支払義務は相当の範囲で被控訴人公団(の職員松田)の前記違法行為によつて直接生じた損害であると解することができるところ(請求原因4(三)の主張)、その相当因果関係ある金額は事案の難易その他の事情を総合して控訴人ヒロ子につき二万円、その余の控訴人らにつきそれぞれ一万円をもつて相当と考える。
第三国家賠償法一条に基づく請求について
なお、控訴人らは被控訴人に対し被控訴人公団職員の前記所為につき国家賠償法一条所定の責任をも追求するが、右職員の所為は公権力の行使とはいい難いから、いずれにしても、控訴人らの右法条に基づく請求は失当である。
第四結論
以上のとおりであるから、控訴人らの本訴請求は前示の不法行為を理由とする損害金及び附帯の遅延損害金の支払いを求める範囲で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。
よつて、これと一部異なる趣旨の原判決は変更を免れず、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立てについてはこれを附するのは相当でないと思料するからこれを却下し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官今富滋 裁判官畑郁夫 裁判官遠藤賢治)